私が初めて法律家になりたいと思ったのは、8 歳という幼いときでした。 きっかけは同級生の 1 人がトラブルに巻き込まれたのを見たことです。彼 女にはそんなトラブルに巻き込まれるような理由がないと私は強く思った のです。成長するにつれ、グレナダでは人々、特に子どもや女性が不当な 扱いを受けている例をもっと目の当たりにしてきました。カリブ海諸国で は、ジェンダー問題は、私たちが社会に適合させられているためにあからさまであり、潜在的に存在するため、厄介だったりするのです。
私はとても内気で無口に育ちました。話すのは、話しかけられたときか、一緒にいても気楽な人がまわりにいるときだけ。だから、声を鍛え、「間違っ てる」と思ったことに対してはっきりと意見を述べるようになるまで時間がかかりました。
グレナダという国には、若者が意見を述べる機会が決して多くありません。だから私は Girl Guides Association やさまざまな生徒会、ヤングリー ダーのグループなど、あらゆる機会を利用しました。しかし、私が一気に 成長したのは、バルバドスにある西インド諸島大学に留学して、学生と同窓生をつなぐ組織 UWI STAT に参加したときです。そこで活動するうち、 カリブ共同体(CARICOM)の渉外委員会と深くかかわることになりました。 そのおかげでカリブ海諸国の抱える問題について理解を深められました。
そこでの 3年間の最後に、グレナダにあるカリブ司法裁判所(CCJ)の 国民投票委員会におけるユース・スピーカーを務める機会を得ました。 UWI STATでの時間は、バルバドスにおける銃による暴力事件の増加に 対して声を上げたり、気候変動についてカリブ海諸国のカンファレンスをオンライン上で開催したりするのに役立ちました。
2 5 歳 に な っ た 私 は 、法 律 の 勉 強 を 終 え 、弁 護 士 と し て 活 動 し て い ま す 。 今 、間違っていることに対して、恐れることなく声を上げることができるので す。私の夢は、不当な扱いを受けたときには自ら立ち上がり、社会の腐敗 に終止符を打つために、人々が声を鍛える手助けをすることです。内気で恥ずかしがり屋な私はもういないのです。