私はこれまで放任主義の父に、教育熱心な母、神童のような姉という家族から、たくさんの愛を受けて育ってきました。
みんなと仲良く過ごしてキラキラしていた小学生時代から一変、自分の「性」を意識するかどうかという思春期真っ只中の中学生の頃、“女の子らしい”仕草や雰囲気を持っていた私は、思春期の同級生たちから「オカマ」と揶揄われるようになり、それは次第にエスカレートしていき、いじめられていました。そのため不登校がちになり、オンラインゲームにハマっていたこともありネットカフェにこもる生活をするようになりました。また同時に、同級生たちのいわゆる思春期っぽい話に興味が持てなかったり、たまに男子の同級生や先輩から優しくされてドキッとする自分に気づくようになったりしたのです。そして、ネットカフェで情報収集をしてみて初めて、同性を好きな男性のことを「ゲイ」という言葉に出会い、自分がそうなのかもしれないと意識するようになっていきました。
とはいえ悪いことばかりではなかったのです。オンラインゲームでチームを組んだときには自分よりも年上の人ばかりで、ゲームの戦略立案のためにチャットしていくうちに仲良くなっていき、プライベートの話もするようになりました。そこで初めて人に、「自分は男の子が好きかもしれない」と言えたのです。するとチームメイトたちは「いいんじゃない」と。中学校の40名程度のクラスで孤独を感じていた当時の自分を、受け入れてくれたことに衝撃を受けつつ、少し勇気が持てました。
大学生の時に運営代表として携わっていたLGBTサークルでは、自分以外のセクシュアルマイノリティの友人たちと出会い、カオスな光景でありつつも居心地の良い空間でした。そこで学んだことも多くあります。自分の発言で無意識にそのサークルの友人を傷つけてしまったり、家族から受け入れてもらえない人がいたり、貧困で苦境に立たされている人がいたり、就活で「あなたのような人はいらない」と言われたり。ネットカフェという逃げ場があり、お金の心配もなく大学に通っている自分は恵まれているのかもしれないと思うようになりました。なんでこういうことが起きるんだろう、セクシュアルマイノリティに関する課題を解決したい、そういう思いが芽生え始めたのはこの頃だったように思います。
労働人口が急速に減少する日本社会で、多様な人材が活躍できないことは大きな機会損失にな
ります。就活の一環で参加した「社会の “不” を解決する1000億円規模の事業を考えよ」という課題のインターンで、そうしたLGBTの社会課題について話したら、同年代の優秀なエンジニアの人たちが賛同してくれました。
そのインターンでは惜しくも選ばれませんでしたが、半年後の別のビジネスコンテストで優勝し、Job Rainbowを設立しました。現在は設立した会社で、ダイバーシティ採用メディアを通じて、多様な人材と企業をマッチングさせる事業を行っています。事業を通じて強く感じることは、誰もが何かのマイノリティであるということ。将来は、人が自分の弱さ・マイノリティな部分をネガティブに捉えるのではなく、魅力ある個性として自信を持ち、他者の違いをも愛せる社会を作っていきたいと思っています。多くの人に応援してもらいながら、生きているという実感を持ってこれからも自分にしかできないことで1番になっていきます。