未来は教室から生まれる

心を変え、国を変えられるのは、教育だけだと信じています。私の夢は、 人生を変えることができる教師になることです。教えることは単なる職業で はなく、情熱です。教師は未来の世代の開拓者であるからこそ、社会の変化 の担い手なのです。

父は私が幼い頃に亡くなりました。社会的な圧力により、母はひどい暴力をふるう男性と再婚しました。そのため、私は母と離れて暮らさざるをえず、 親戚の家を転々とすることになりました。私は、「子ども時代」のない子ど もでした。5 歳にして心に傷を負い、痛みと苦しみのなかを生きてきたのです。

自殺寸前まで追い込まれたことも一度ではありません。 私には、親をなくした子どもや恵まれない子どもが質の高い教育を受けら れないとき、どんな気持ちになるのかが分かります。そういう子どもたちのために、私は教育者になったのです。しかし、私自身、学業を続ける上で、 多くのハードルがありました。大学の費用はアルバイトをしてすべて自分で 稼ぎましたが、最終的に私を引き取ってくれた伯父一家のサポートもあって 乗り切ることができました。卒業後は教えることへの情熱と懸命の努力が実 を結び、ある有名な組織に就職しました。パキスタンのシンド州の僻へき地ち にある学校に、ティーチング・サポート・アソシエイトとして派遣されました。 今では、国連の市民教育ボランティアとして働いています。

シンド州にいた頃には、私のキャリアのなかでも最も印象に残る出来事の 一つがありました。とても優秀な生徒がいたのですが、あるとき、彼女の成 績が下がっていることに気がつきました。理由を尋ねると、両親が彼女を結婚させようとしていることが分かりました。私は彼女の両親に電話をかけて 説得し、どうにかして両親は彼女に勉強を続けさせてくれました。そのとき に考えたのは、同じような状況で苦しんでいる子どもは大勢いるのだろうということです。親を失った子どもにとっては、状況はさらに過酷なはずです。 このことは、夢の実現に向けて進む私の背中を、強く押すことになりました。

私は子どもの頃に苦しみました。同じ苦しみを誰にも味わわせたくありま せ ん 。 こ の 混こ ん 沌と ん と し た 世 界 の な か で 子 ど も た ち が 孤 独 を 感 じ る 必 要 は な い し 、 また子どもたちに、世界は終わることはないと知ってほしい。

私は自分が住んでいる地域に恩返しをし、苦しみのさなかにいる人や、自 分の生活をより良くする手段を持っていない人たちみんなのために、社会を より良い場所にしていきたいと考えています。国の未来を決めるのは、学校 の教室です。この信念を胸に、国家を繁栄させようと教育にエネルギーを注ぐ人たちのなかに立つことを夢見ています。

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