夢について聞かれると、マーク・トウェインのこの言葉がすぐに思い浮か びます。「人生で最も重要な二つの日は、生まれた日と、理由を見つけた日 である。」私のファースト・ネームである Evanam Helenam は母国語(エウェ語)で、「彼女は私のためにやって来た。彼女は私のためにそこにいる」です。 人道支援活動家になるという私の夢は、生まれたときから決まっていたんだと思います。 7歳のとき、戦争の犠牲になった子どもたちのために基金を募ることを心に描きました。おそらく、母が産婦人科医として人助けしているのをいつも 見ていたからか ( 母はコミュニティの課題を積極的に引き受け、行動する人 でした )、UNICEF の青いロゴにインスピレーションを受けていたからかも しれません。どちらにせよ、私は人形や空想の友達と、難民の子どもたちの ために難民キャンプで薬やミルクを買うお金を集めるというごっこ遊びをしていました。すでに人道支援の道に進むことを決めていたようです。
24 歳で私は勉学のためにアメリカに引っ越しました。そこで地域医療を 学ぶ傍ら、人道支援の仕事に徹しました。翌年、悲しいことにコートジボワー ルの大統領選が内戦にまで発展しました。家族のそばにいる選択をしなかった自分を責め、電話が鳴るたびに、それが母の死を伝えるものだったら…… とばかり考えていました。学業は思うように進まず、当時は気分がかなり落 ち込んでしまいました。
そんななか、私の夢はついに実現したのです。2 7 歳のときに赤十字のイン ターンで、麻ま 疹しんと風ふう疹しんの予防接種をある村全体で行うための資金集めを手伝 いました。31 歳のときには国連の Global Health Fellowship に参加し、ひ どい現実を目の当たりにしました。毎日 314 人の子どもたちが麻疹に関連す る合併症で死亡していました。ワクチンの質が悪いために毎時 13人が死亡し ているというのです。これを知って衝撃を受けましたが、国連基金とともに 資金調達の活動ができ、キャリアに自信が持てるようになりました。翌年に 母国に戻ってから、私は市民団体 Listen to me too civ に参加するようにな りました。この団体は私の属するコミュニティ内の、特に若者たちの健康、教育、そしてジェンダーに基づく暴力の防止に打ち込んでいます。
2030 年までに私は Helenam Knowledge Center を開設し、若者が人道 主義部門で働くことを目指す支援をしたり、性暴力被害者のための移動式の 避難所を提供したいと考えています。私は生涯をかけて、人が夢を実現する手助けをしようと自分に誓っています。