寛容になろう、 地球のように

ミャンマーの 2008 年は悲劇の年でした。サイクロン・ナルギスが襲っ たのです。私はどうすることもできず、自分の国が地球の怒りによって一 掃されるのを見ました。何百万人もの人々が家を失い、何十万人もの人々 が亡くなりました。自然災害のとき人々を守ってくれる「大災害脱出ポッド」なる乗り物を想像でつくり出して、私は日記に描いていました。「私の発明で自然の残酷さからみんなを守ることができるかもしれない。」8歳の私はあどけなくそう考えていたのです。

大きくなるにつれ、さらに多くの惨状を目にしました。森は炎のなか で倒れ、海岸線は浸食して居住地を飲み込み、有毒な空気は新しい棲み家 を見つけたかのように肺に出入りしています。急激な気温上昇は一大異変を引き起こし、人類を含め、生物種は大量絶滅の脅威に直面しています。

しかし、自然は本当に残酷でしょうか? 躊躇なく木が打ち倒されるのも 私は実際に目の当たりにしています。地球は誰のものでもないのに、個 人的な富のために資源が搾取されるのを目にしているのです。太陽が燃え 盛るのを、地球が泣くのを感じ、その抑え難い怒りを感じます。私たち は地球を当たり前のものとどれだけ思ってきたのでしょうか? 「自分が してもらいたいことを人に行いなさい」と、よく言われます。私たちは 地球に無関心で野蛮な行為を見せるなか、この言葉を人間だけに限って良いのでしょうか?

空気をきれいにすること、水を大切にすること、木を守ることに身を捧げようと決心しました。17 歳になったとき、地球を緑に染める旅を始 めました。9人の友人と指導教授とで Air Quality Yangon を結成しました。 この国で初めて大気汚染に関する問題に取り組むチームです。Save theChildren が資金提供してくれただけでなく、他の専門家と全国放送で大 気汚染について話しました。また、利他的な国民性に後押しされ、ボラン ティアグループ CARE を立ち上げました。志を同じくする若者が集まり、助けが必要な人や環境への優しさを広めようとしています。 現在、私は大学で機械工学を学んでいます。自分の発明で地球を救うと いう夢を追求するためです。しかし、これだけでは全然十分でないことも 分かっています。私たちは回復するよりも速く地球にダメージを与えています。だから、みなさんにお願いしたいのです。今こそ行動するとき、 行動に責任を持つときです。つまり、ライフスタイルを無害な方法に変 えるときが来たのです。私たちの星に対して思いやりを持ちましょう。こ の星が私たちに寛大であるように、私たちも地球に寛大であるようにしましょう。

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