病気が死刑宣告にならない世界

私は 13 歳のときに、病気が存在しない世界、医療を受けられずに亡く なる人のいない世界を夢で見ました。そして目が覚めたとき、この夢はきっと現実になるに違いないという実感を持ちました。
2010 年、私が 14 歳のときに発生したハイチ地震。イスパニョーラ島は壊滅的な打撃を受け、特に南部では医療資源が不足していたため凄せい惨さ んな状況に陥りました。 私たちはすぐに行動を起こしました。父に提案して共同で、ドミニカ共

和国内でも貧しい地方へ医療資源を届ける非営利の医療組織 FUMEBO を設立したのです。しかし、道のりは平坦ではありませんでした。父の人 脈によって、国内最大級の病院の協力がいち早く得られたのは幸運だっ たのですが、組織の知名度がなかったため、他の病院との関係を構築する のに苦労することになりました。組織のホームページやロゴをつくるとこ ろから始め、他のNGO の活動にボランティアとして参加するなどしてノウハウを学びました。 努力のかいあって、今では国連開発計画ドミニカ共和国事務所とのパートナーシップを結び、私たちの目指す専門的な目標と SDGs を結びつける ことができました。そして、9 年間で 7 万人以上の恵まれない人々に、質 の高いプライマリ・ケアのサービス、医薬品やワクチンを提供してきました。

現在 24 歳の私は、今も夢を見続けています。FUMEBO がこの国の 南部に住む人々に、質の高い保健や栄養価の高い食事を提供するという 夢です。その対象は、総人口の 6 0 % 以上に当たります。しかし、医療従 事者であると同時に社会起業家でもある私は、最終目標としてドミニカ 共和国の全地域、そして隣国のハイチにも公平で持続可能なプライマリ・ケアを提供したいと考えています。 教育が保障され、健康であることが当たり前で病気が珍しいものとなり、子どもたちが遺伝性の病気から免れ、病気がすなわち死刑宣告ではない 世界が実現さえすれば、貧困や経済の不平等を根絶することができるで しょう。もちろん、それが実現した後も私の歩みは止まることはありませ ん。世界中に存在するさまざまな問題の解決に当たっていきたいという思いは変わることはないのです。

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