私の名前はサラム。アラビア語で「平和」を意味しています。アラブ では「誰もが名前に影響を受ける」と言われるように、私も幼い頃から暴力を好まず、けんかすることもありませんでした。そして、何より平和へ の願いを抱き続けてきました。
私は南シリアの村で育ちました。そこは都会では見られないようなことを夢見たり、探求したりするのに最高の環境でした。バスケのシリア代 表になりたいと夢見て独学で練習したり、好きなことを見つけて若いうちに自立することのできるように大学で勉強しようと思いました。 しかし、ご存知のように、2011年からシリアでは内戦と紛争が始まり ました。私は 2 016 年にすべてを残して国を追われ、スーダンで難民となりました。「難民」という言葉からは「危機」「貧困」「飢餓」「戦争」「財 政危機」「社会の重荷」「悲しみ」「悲惨」などが連想されます。私は怒り さえ覚えたこともありましたが、後になって、難民であるということは弱 者というわけではないと実感しました。そのイメージはメディアが報道 する一面的なものにすぎません。私たちが弱者であるかどうかを決めるのは私たち自身なのです。 私は自分の居場所を社会のなかに、特に若い人たちの間に見つけることができました。私はスーダン東部カッサラで暮らしています。ここでの 生活は、大変なこともあるけれどシンプルで平和で幸せです。人々、特に 若者はお互いに助け合いたいと思っています。私も 10 代の子たちにバス ケを教えたり、その後は障がい者支援や能力開発、起業支援に取り組むさ まざまな団体でボランティアを行いました。地元の文化や言語を理解する ように努めましたが、カッサラは他者を尊重してくれるコミュニティだっ たので、こうした努力も苦ではありませんでした。
こうして私の新しい人生が始まりました。さまざまな社会的事業や NGO で学びながら活動できる人生に誇りを持っています。私はコミュニ ティのために自分ができることをしましたが、コミュニティはそれ以上のこと、つまり市民としてどう生きるかを教えてくれたのです。 こうして私は弱者ではないと気づくことができました。考え方が、性格 が、夢が変わりました。今の私の夢は、人間性が国籍を超えた世界、偏見のない世界。アイデンティティは一人ひとりの心のなかにあります。す べての国々は地球上にあり、私たちはみんな地球の住人なのです。