人類をつなぐ旅

9 0 年代初頭のインドで私は生まれた。当時、地域では住民同士の対立 がたびたび起きており、両親は自国にいながらまるで移民のように感じて いたという。ヒンドゥー教が力を持つ国で、私たちはイスラム教徒だった からだ。やがて両親はより良い未来を求めてオマーンに逃れることにした。 中東の石油の繁栄という蜃気楼に魅せられたのだ。しかし、そこもまた移民、特に私たちのようなブルーカラーを酷使する場所であるというこ とを両親は知らなかった。多くの移民たちは無礼な扱いに耐え、暴力に脅か され、1 人で外出するのも怖いほどだった。労働者とその家族の地位向上 という私の旅が始まった。

18 歳になって、医療支援から職業能力開発訓練までさまざまな事業を 始めた。幸いなことに、この事業は地元の若者や産業界に歓迎され、移 民労働者の待遇改善に大きく貢献できた。ちょうどその頃、オマーンで 初めて若者の地位向上を求める抗議行動が起こったが、行き違いから抗 議者に攻撃されかけた。そんなとき、かばってくれたのが私の活動の恩 恵を受けていた別の抗議者だった。彼らの勇気を忘れることはないだろう。

2 012 年末、2 3 歳のとき、父の大腸がん治療のため私たち家族は、差別 のために故郷と呼ぶのがためらわれた国、インドへと戻った。大変な経験 だったが、インドでもあらゆる職業の労働者を支援したいと思うきっかけ にもなった。数年をかけてクラウドファンディングで資金を集め、ビジネ スを始めようとする人に必要な設備を提供することができた。これまで 400 社以上の小規模スタートアップを生み出す手助けをできたことは誇りだ。

しかし、私のビジョンは十分満たされたとは言えない。夢を実現するに はまだ程遠い。4 年経った頃だった。大勢のアフリカ人(多くはナイジェ リア人)がインドへやって来ているのを知った。彼らの多くは、学生を家畜のように扱うブローカーや入学コンサルタントにだまされていた。自分の見ているものに耐えられなくなり、私はナイジェリアへと飛んだ。 今、私はこの地に新しい大学を開設しようとしている。ナイジェリア人 だけでなく、すべてのアフリカ人のための大学だ。世界中の労働者が差 別されているのは、仕事の内容や働く場所のせいではなく、教育を受け られなかったせいだ。この大学では、個人の生活を改善するために、技能の習得を図る教育へのアクセスを提供し、将来、強力なリーダーを輩 出するだろう。私は史上最年少の大学創立者となり、私の長い旅は技能 志向の教育のモデルをつくるという真の使命へと道が開かれつつあるのだ。

———–
書籍 WE HAVE A DREAM 201カ国202人の夢×SDGsはこちら

上部へスクロール