90 年代、アゼルバイジャンとアルメニアの間で武力衝突が続き、100 万人以上のアゼルバイジャン人が難民や国内避難民となりました。私の 家族は当時 3 歳だった私を連れてロシアに移住しました当時のロシアは ソ連崩壊直後の不安定な状況下にあり、民族主義者やネオナチによる難民・ 労働移民排斥運動が激化しました。
12 歳で帰国しましたが、14 年後、再び平和は破られました。2 0 2 0 年 9 月、アゼルバイジャンとアルメニアがまたしても争い始めたのです。市民活動家、国際安全保障を学ぶ学生となった私は、同年代の若者は平和への意志が強い、そう思っていました。しかし、私たちの世代が紛争の 主役の 1 人となってしまいました。両国合わせ 7,000 人以上の兵士が命 を落とし、数百人の民間人も犠牲となりました。多数のアルメニア人が 難民となり、私の故郷は 3 週間にわたって爆撃を受け続け、私の通った 学校はほぼ完全に破壊され、多くの友人は家を失いました。怒りと悔し さを感じながらも、相手も同じようにつらい経験をしているんだと自分に言い聞かせました。
私は、次の世代は憎しみや恐れを手放して、敵対するものと握手できるという希望を捨てていません。解放された領土にはアゼルバイジャン人 とアルメニア人の住民がともに暮らすことになるでしょう。このことは両 国にとって新たな挑戦であり、平和と共存を促進するための重要な機会になると信じています。私はこれに尽力し、若者の平和構築への参加を 推進していきたいと考えています。これまでにアゼルバイジャンで、外 交問題に若者の声を反映させることを目的とした Youth Ambassadors と いうプログラムを共同で立ち上げ、国連、欧州評議会、その他の国際機 関に自国の代表として参加しました。若者が参加するこうした取り組み は、現実に影響を与え、今日の政治情勢の緊張を和らげることができると 信じています。
身をもって紛争を経験した私は世界平和を築くために声を上げ、現実を 変えるために動かなければならないと感じています。私の夢は、みんなが平和に暮らせる世界、みんなに安心できる家がある世界。それを達成す るためには、社会を平和に導く若き外交官や研究者、活動家、人道支援に 取り組む人が必要です。しかし、まず私たちの間で平和をつくらなけれ ばなりません。若者は明日ではなく今日を生きています。みんなで私たち が住みたい世界をつくりましょう。みんなにとって家のように心休まる世界を。