誰もが誰かに必要とされる世界

自分は役立たずで、努力が足りない。私は幼い頃からそう感じ、苦しん できた。両親が事あるごとに言ってきたのは、私は家族の役に立っていな いこと、私に失望させられてきたということ。そう言って子どもたちをがんばらせようとする親は、アフリカにたくさんいると思う。 こうした言葉は聞くたびに心が痛くてたまらないものだった。両親を喜ばせようと一生懸命やったが、結果は無駄に終わった。がんばっては諦め るというサイクルが延々と続いた。そのうち、「私はそんなにひどい娘な のか?」と自問するようになった。

高校生の頃から、人に助けの手をさしのべることはあったが、それはと てもささいなことだった。私よりも経済的に恵まれない家庭のルームメイ トに自分のお小遣いを渡した。大学に入るとボランティア活動に打ち込み、私にできることは何でもやった。自分に対しても、家族に対しても、人の役に立ち、欠くことのできない存在だと証明したかったのだ。時が流れる うちに、それが習慣となった。目の前に助けが必要な人がいれば、手をさ しのべないではいられなくなった。

役に立つ人間だと認めてもらおうと、全力を尽くした。人の助けになっ ていることに夢中になり、いつしかボランティア活動が第二の故郷のよう に感じられるようになった。ボランティアをしたり、誰かを助けたりする と、とても幸せな気持ちになった。愛されるためにもっともっとがんばら なければと思っていたが、「愛されている」「感謝されている」と感じるこ とが、私の心にぽっかりとあいた穴を埋めてくれた。きっかけこそ自分の 存在価値を証明したいという気持ちだったかもしれないが、今では他者の 人生をより良く、より安全に、より幸せに、より豊かにしなければならないという想いに突き動かされるようになっている。

世の中には、慈善事業家と呼ばれる人があふれている。だが人によって取り組んでいる課題はさまざまだ。私に関して言えば、単に慈善事業家と 呼ばれたいわけではない。人々の人生をより良い方向に、しかもがらりと 変えられるような人間にいつかなるのが夢なのだ。私は、自分がひどい娘だとは思わない。最高ではないとしても、十分に良いと自信を持って言える。見返りを求めることなく、人に与えることができれば、私の夢が実現したということになるだろう。誰かの人生を少しでも良い方向に変えたい。 誰もが愛され、感謝され、必要とされ、いつも助けの手が近くにあるという安心できる。そんなチャンスがある世界が、私の夢だ。

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