私は 1999 年、アイン・シフニという町で生まれた。両親は、ヤジディ教 徒として苦難の生活を強いられていた。戦争中の田舎町は、彼らの可能性を 閉ざしたのだ。いろいろな意味で、戦争では最も強い者が生き残るも同然だ。
イラクでは、ヤジディ教徒は宗教的マイノリティ。つまり私の家族は、最弱 者だったのである。その弱い力をかき集めて、彼らはどうにか国を脱出した。
家族とともにノルウェーに移住したとき、私は 3 歳だった。クルディスタ ン(クルド人居住地域)の山腹やバードレ(イラク北西部の町)に並ぶコン クリート造りの古い家々、そして親戚たちの声などのぼんやりとした記憶が ある。その記憶は、まるで長い間忘れていた夢のように、私のなかに残って いる。ノルウェーで育った私は、ひとかどの人間になれるだけでなく、自分 がなりたい人間になれる社会を夢見る余裕を手に入れた。もし故郷を離れて いなかったとしたら、実現できなかったであろう夢だ。
何年も経ったのち、2014 年秋という運命の時がやってきた。イスラム国 (IS)が、シンジャルとその付近の村々を包囲したのだ。私は 15 歳だった。
ノルウェーの我が家の空気は重かった。両親は、必死になって親戚たちに電 話をかけていた。だが、聞こえてくるのは「おかけになった電話番号へは、 現在おつなぎできません」だけ。私はニュースを見て怖くなった。何百人もの男女が殺されていた。自分たちがゼロから建てた家を捨て、逃れざるをえ なくなった家族たち。何千人もの女性や少女たちが、自分たちの家から拉致 されていた。私は激しい無力感に襲われた。
だがまさにこの出来事が、私の目を開き、世界に存在する不正義を直視さ せた。そのときに私は誓った。私は、社会を良くするためにこれからの月日 を捧げる。ゆっくりでも確実に始めよう、と。
私は学校で生徒会長となり、地元の町ドランメンのユース・カウンシルの メンバーに選出された。2015 年には、国連青少年委員会のノルウェー代表 に選ばれた。さらに、ノルウェーの Young Ambassador プログラムに選ばれ、後にそのリーダーとなった。それから数年の間、私は、政治家やメディア、 国際会議に、同胞に対してなされている不正義に関して訴えかけてきた。
思い返せば、私の社会活動の原点は、「二度と繰り返させない」という誓 いにある。
二度と、信仰する宗教によって人が差別されてはならないという誓い。
二度と、罪のない人が殺されたり、奴隷として売られたりしてはならない という誓い。
二度と、自分のコミュニティのなかで、若者が無力感に襲われてはならな いという誓い。