私は日本の広島と呼ばれる被爆を経験した土地で育ちました。小学生の頃から折り紙で鶴を折り、世界平和を願う教育を受けていたので「平和」というワードがずっと頭の中にありました。それと同時に、幼少期から全ての事象に「なぜ?」という感情を抱いていました。なぜ車は動くの?なぜ空は青いの?なぜ地球はできたの?なぜ私たちは生きているの?
生きている理由を毎日考えながら過ごしていると、人との間に自分の価値があることに気付き、私の中に「人の役に立つことをして生きる」という宿命が生まれました。
しかし、戦争や教育格差の情報をニュースで知り、世界中に助けを求めている人々がいるのにも関わらず、世界が遠くに感じ何もできずに無力を感じる自分がいました。
私の世界観が変わったのは、人生で初めて日本の外に出た大学生の時です。アメリカへの留学や東南アジア一人旅などを通して様々な国に訪れました。そこでは沢山の人に出会い、多くの優しさを受け取りました。腹痛で困っている時には道端ですれ違った人が薬をくれたり、道に迷っている時には近くにいた人が案内してくれて、お別れの際に手紙と可愛い目覚まし時計をプレゼントしてくれました。その人とは今でも連絡を取る友達です。
この海外への旅が世界を身近に感じさせる出来事でした。物事を見る視点が一気に広くなり、「他国の人」を「同じ地球人」だと思うようになりました。国籍が違っても同じヒトであり、繋がりを持ち前進していくのです。
一方、当時の私は英語を話すことができず、感覚でコミュニケーションを取るしかありませんでした。英語や現地の言葉を話せれば、対話を通して繋がりをより深めることができたと思います。この経験から私は対話ができないことに悔しさを覚え、言語習得について必死に勉強しました。私たちはもっと対話をする必要があります。世界中に友達ができれば、そこには憎しみではなく愛や優しさが広がります。
私の夢は、対話を通して世界を繋げること。このために私は、英語力の低い日本の教育を見直すため教育行政機関に4年間携わりました。その後、平和記念公園でのツアーガイドを行いながら、英会話・日本語教室事業、Webデザイン事業、観光インバウンド事業等の分野で起業し、世界を繋げるための仕組みづくりに励んでいます。
「人を知ることで戦争は減る。」この言葉を信じ、私は今日も行動します。