私が初めてオセアニアの語られざる物語を知ったのは、フィジーのザ・ サウス・パシフィック大学の教室でのこと。「今から見るのは高校では学 ばないような話です。西パプアの、みなさんの兄弟姉妹にまつわるもの です」と講師が言ったのを覚えています。その島について聞いたことがな かったので、目の前でパンドラの箱が開いたような気分でした。それは西パプアの植民地支配の歴史と、解放を求める闘いのドキュメンタリー でした。彼らは他ならぬ自由を求めていましたが、それは暴力や死、精神 的な奴隷状態という犠牲を伴うものだったのです。見終わる頃には、私は目にたまった涙を払いのけ、ペンと紙を取り出して 1 行の詩を書きまし た。“Inap Yu Harem Mi?”「みんな、聞こえる?」という意味です。太 平洋の島々の民にパプア人のために立ち上がろうと呼びかけたのです。こ れが私の旅の始まりでした。オセアニアの歴史について、知識をいった ん捨て去り、学び直す旅です。
私たちの忘れ去られた苦闘の数々をだんだんと知るうちに、「ジェリー フィッシュ・ベビー(くらげの赤ちゃん)」についての恐ろしい物語にも 遭遇しました。マーシャル諸島で核実験が行われた 1940 年代から 1950年代に生まれた赤ちゃんで、骨がなく、透明な肌をしていたためにこう呼 ばれたのです。従来、マーシャル諸島の核実験をすべて合わせたら、広 島の原爆1.6個を12年間毎日投下することに等しいと説明されてきました。
この放射能が私たちの子どもたち、陸地、”Waitui”(海)に与えた影響の 深刻さは想像に難くないでしょう。現在私は、世界中の核実験の犠牲者たちと連帯して核兵器の禁止を訴えています。 これらの忘れられた物語は、無制限の権力と兵器の歴史を思い出させてくれます。また、平和を築き、未来に向けて安全保障を再定義するために、 私たち海の守り人が果たす責任を思い出させてくれます。私の夢は、こ れらの物語が解放され、教室で伝えられていくのを見ることなのです。