私は占領下のエルサレムで生まれ、アメリカで育った。家族がパレスチナ に戻ることを決めるまで、幼かった私は「自由」の価値や意味を理解してい なかった。飛行機に乗ったが、行けるのはヨルダンまで。パレスチナは空港 を建てることが許されていない。私は両親に尋ねた。「なぜパレスチナには 空港がないの? 家に着くまでに何時間もかけていくつもの検問所を抜けな いといけないのはなぜ?」と。両親は「話せば長くなる」と言った。当時はその意味が分からなかったが、後になって、私たちパレスチナ人は絶え間な いイスラエルによる占領の結果、厳しい政治問題が突きつける現実のなかで 暮らしており、それゆえに孤立しているのだと気づいた。
紛争に直面している国で生まれた文化は刺激的で、異質だと認めよう。拒 絶や拒否されることを恐れず、語られる必要がある。だが、固定観念、誤っ たニュース、人々が互いに抱いている誤解にきりはなく、より多くの壁、恐 怖の黒々とした雲を形づくっている。話すのは簡単だ。私たちはただ話すの ではなく、コミュニケーションを取るべきだ。コミュニケーションを取ることは、境界線だらけの世界に暮らす私たちにとって挑戦でもある。 固定観念のせいで新しい考え方を受け入れられない人たちと、同じ理由で自分自身を表現する機会を逃している人たちの間に、私は平和とパートナー シップと繁栄に満ちた架け橋をつくりたい。心理的な境界線を断ち切り、お 互いを知れば知るほど、私たちは自分たちの物語や信念、違いも理解できる。
架け橋をつくることは、心の問題に取り組むことなのだ。 特に紛争地域で苦しみ続け、疎外された人々を置き去りにしないために、みんなが互いを受け入れ合えるバーチャル空間を、私は思い描いている。対 話から始めて、若者が集まって文化や価値観、気付きに満ちた物語を共有で きる。そのためには、大規模で国際的なプラットフォームが必要だ。すでに 私は Instagramに @khaled.abuqare のアカウントをつくり、約 2000 人のフォロワーを集めて、ビジョンを実現するための第一歩を踏み出している。 私の夢は、政治的紛争による厳しい状況のもとで生きる若者に、希望とや る気を与えることだ。希望があれば彼らは強くなり、大きな声を上げ、紛争 を解決できる。彼らを苦しい立場に追いやり、1 人でつらい思いをさせていてはいけない。たくさんの架け橋をつくることができれば、それだけコミュ ニケーションと対話のチャンスが生まれ、紛争が減り、平和、安全、繁栄に 向けて前進できるだろう。これは私だけの夢ではない。何百万人もの若い野 心的な未来のリーダーたちの夢でもある。他人のことに無関心でいたら、決して平和は生まれない。行動を起こすときが今でなければ、いつなのか? 私たちでなければ、誰がやるのか?
若い活動家、外交官として、私はさまざまな地域の若者組織間のパートナーシップを強化することに焦点を当てたさまざまな国際フォーラム、ラウンド テーブルに参加したり、いくつかのパレスチナの NGO の理事も務めてパレ スチナの若者、文化や伝統を世界とつなげる機会を得ている。国の違いは挑 戦としてだけでなく、チャンスとして扱われなければならない。すべての挑戦はチャンスでもあるのだ。