子どもの頃に、夢や将来について兄姉と交わした会話を、私は今でも覚え ています。姉は人命を救うため医学の道に進みたいと言い、兄は秩序と平和 をもたらすため軍人になりたいと言いました。自分の順番になったとき、答 えられませんでした。
都会で生活していては気づきにくいのですが、強制結婚や児童婚、嬰児殺し、子どもの人身売買など、ベナンの恵まれないコミュニティが直面する現 実を知ったとき、私は行動を起こさなければならないということが分かった のです。私が学び取った知識と技術を、すべての人が手に入れられるように したいと思いました。ただそのときはまだ、より良い世界のために自分にど んな貢献ができるのか、私には分からなかったのです……。
やがて私は外務省で働き始めたのですが、そこではさまざまな NGO から 活動報告書を受け取っていました。この報告書には、恵まれない環境にいる 人々の生活に、NGO がどういう影響を与えているのかについて詳細に記録されていました。私は NGO の献身的な活動に魅了され、自分の知識や経験 を生かそうと決意しました。外務省を辞めて、子どもの人権に取り組む国内 の NGO とともにボランティアの旅を始めました。
最初に参加した NGO では、ストリートチルドレンの人生設計を支援する 活動に尽力しました。また、別の NGO では国際的人身売買の被害者となっ た子ども、刑務所で自由を奪われた子ども、虐待を受けている子どものため に活動してきました。そのなかで出会った子どもたち一人ひとりが、私という人間を変えていきました。どんな状況も同じではないけれど、そのうちの 1 人の子どもの話をしましょう。
やっと 13 歳になったぐらいの少年の話です。おばあさんと二人暮らしでし たが、残念ながらおばあさんは彼を学校に通わせ続けるほどのお金がなく、 十分に養うこともできませんでした。近所の若者からナイジェリアでは雑用 の仕事が簡単に見つかるという話を聞いた少年は、他の子どもたちとともに 家を出ることにしました。しかし、ナイジェリアに着くと、有給の仕事なんてないことを知ったのです。彼らはさまざまな家族や商人のもとに、離れば なれに預けられて小間使いや行商人として働くことに。ナイジェリアでの 2 年 間、空腹のまま寝なければならなかったり、毎日のように叩かれたり、お店や市場で商品を転売するため長時間働かされたりと、彼は日常的な虐待に 苦しんでいたために雇用主から逃げ出しました。そして、路上で生活をすることになったのです。
ある日、路上で物乞いをしていた彼は、ナイジェリアの警察に逮捕されました。ベナンから来たと言い、警察から私たちのプロジェクトに紹介されたのです。そこで私は、警察と一緒に帰国を手配しました。ベナンとナイジェ リアの国境で少年に会い、一緒に私たちの国に戻りました。まず苦労したの は家族を探すことでした。2 年間で風景や道など多くが変わってしまい、彼 は家までの道を思い出すことができなかったのです。この捜索は約 2 週間近 く続きましたが、地域の手助けもあり、ようやく私たちは彼のおばあさんを 見つけることができました。孫が見つかったと話したとき、おばあさんの笑 顔と感謝の姿を見て、私たちは幸せな気持ちでいっぱいになりました。家に 戻った彼に何をしたいか聞くと、「また勉強したい」とのこと。そこで私た ちは彼が自分で学費を払うための計画をつくり、さらにおばあさんが小さなビジネスを立ち上げ、孫のニーズに応えられるように支援しました。 この子と一緒に過ごした一つひとつの瞬間が、NGO が計り知れない仕事 をしていること、そして誰もが貢献でき、貢献すべきであることを実感させ てくれました。その後、私は他にも多くの子どもたちと出会いました。彼らは移民であったり、結婚を余儀なくされたり、法律に違反して自由を奪われさえしています。こうした子どもたち一人ひとりのために、私は自分のベス トを尽くしています。
NGO の活動は、世界をより良いものに変えようと決意した、たくさんの 若者がいるからこそ可能になります。独自の能力と強烈なエネルギーを持ち 合わせた、アフリカを初めとする世界中の若者たちは、人類が新しい未来に 向かって動き出すための力になると私は確信しています。変革と持続可能な 開発をリードし、問題解決に貢献することが、私たち若者の責任なのです。
私の最大の夢は、不平等のない未来に向かって世界が目覚めることです。 そこではすべての子どもたちが幸せで、満たされていて、大人から虐待され ることもなく、恐れずに夢をかなえることができるのです。私は若きボラン ティアであり、この新しい未来に貢献できることを誇りに思っています。
P.S. ちなみに現在、姉は助産師として、兄は警官として働いています。