いくつになっても世界中のどこにいても、すべての人にとって最も尊い 瞬間の一つは、母親の温かい腕に抱かれたときでしょう。では、母親の 何がすべての人にとって幸せの源になっているのか、あなたは考えたこと はありますか?
私は、母親が自らの幸せを見つけ、自らのために何かを成し遂げること ができて、そして自由で自立している女性でなければならないと考えて います。母親の不幸を願う人がいるとは思えません。ならば、それでは なぜ男女平等や女性のエンパワーメントのために、世界はまだ闘い尽くしていないのでしょうか? 私の家族は幼い頃から私の声を尊重してくれました。好きな友達と遊び、
好きな服を着て、興味を持ったことは何でも勉強できました。自立して 自分なりのスタンスを持ち、自由に決められるようになる。それが普通 だと思っていました。でも、それは運が良かっただけだってすぐ分かりました。
10 代のとき私は、親戚の結婚式に招待されました。素敵なイベントだっ ただろうと思われるかもしれません。でもそれは、誘拐されてきた花 嫁が 見知らぬ男との結婚を強要されるものでなかったのなら、という話です。 彼女には「普通の」花嫁なら誰でも持っている幸せそうなきらめきなん てなくて、その代わり、この国の伝統の名のもとに家族の手によって人生 を、夢を、希望を奪われた人の目をしていました。
数年後、彼女の物語は、公私問わず制限され、抑圧され、拒絶されて きた何千何万もの女性たちの不幸な物語の一つにすぎないと知りました。
私は赤十字国際委員会の活動のなかで無数の悲痛な回想を聞き、国際法 の教師としてそれらを伝え、不平等や虐待に苦しむ女性たちに話すように なりました。
フェミニストの言説が氾濫している時代だと言う人もいます。でも、私 は全くそう思えません。女の子が教育、医療、政治や市民生活への参加 などさまざまな分野でいまだに不利益を被っているのなら、これで十分なんて言えないはずです。奪われているものを手にするべきです。 私は娘を持つ母として、彼女の声が誰にも負けないほど強く、彼女の 人生がこの世界の差し出すあらゆる素敵なものから恩恵を受け、彼女の翼が決して縛られることがない世界を夢見ています。つまり、すべての 母親、すべての女性が幸せになれる世界を夢見ているんです。