90 年代のテロの時代にペルー軍将校の息子として、私の子ども時代は 恐怖と不安に満ちていた。そんななかでも、祖母のサビーナは、国をより 良くするには教育がどれほど大事であるかを私に教えてくれた。
祖母のおかげで、ペルーでも有数の大学で学ぶことできた。だが、スラ ム街に住む多くの子どもたちは学校に行かず、幼い頃から働いている。彼らはちょっとしたお菓子を売ったり、楽器を演奏したり、おもしろい芸を 披露したりして、お金を得ようと互いに張り合っている。クラスで成績が 一番になっても、努力が他の人のためにならなければ意味がないと、私は 気づいた。そんな私に、祖母は微笑み、「私の故郷のエル・タンボを助けなさい」と言った。変革者になれという祖母の挑戦を受け入れた。 この地に図書館を建てる支援を行うことを決め、私は当時インターン先 だったペルー IBM からの資金提供を取りつけた。それから、首都リマから 9 時間のドライブ。さらに山を登り、ようやくエル・タンボに到着すると、 何百人もの子どもたちが温かく迎えてくれた。なかでも印象的だったのは、 10 歳の少女ロシータだった。彼女に「将来、何になりたい?」と尋ねると、 彼女は「両親やエル・タンボのみんなのように農家になるしかないの」と 答えた。この言葉に胸が熱くなるほどの衝撃を受けた。南米のたくさんの 子どもたちの貧困の連鎖を終わらせるには、自分の未来を切り拓くための 教育が不可欠だ。
エル・タンボでの 1 週間を終えた私は、祖母に報告しようとリマに戻った。 悲しいことに、その日、2011年12月2日、祖母は亡くなった。この日は 喪失感と痛みに満ちながらも、内省と成長に満ちた日にもなった。私は天 国の祖母に、より良いペルーのための変革の推進者になると誓った。こうしてやる気を得た私は Vive Tu Futuro(未来を生きよう)という NGO を設立した。13 の公立学校で 5,000 人近くの生徒たちが自分の夢を実現す るために大切なスキルを学べるよう支援してきた。私の夢は、若者に最高 の自分になるよう刺激を与え、世界に変化をもたらすことだと悟った。
2020年、パンデミックの前に私はエル・タンボに戻り、Vive Tu Futuro の職業ワークショップを開催した。私たちの支援なしに図書館に 初のコンピューターラボが設置されているのを見て、うれしくて驚いた。
「ジェイソン!」そのとき私の名前を呼ぶ声がした。17 歳になったロシー タだった。彼女はこう言った。「私、将来の夢が見つかったわ。土木技師 になって、エル・タンボをつなぐ橋を架けたいの。みんなの生活を改善さ せたい!」