私はフィンランドとパレスチナという、全く異なる2つの地で育ちました。両親がフィンランドで働いていたため、幼少期の大半をフィンランドで過ごしましたが、毎年2〜3カ月は祖父母や親戚と一緒にパレスチナで暮らしていました。フィンランドでの生活は決して楽ではありませんでした。7歳の頃から、父がフィンランド出身ではないことや、自分の見た目が周りと違うことを理由に、執拗ないじめを受けました。それでも、家族の温かさや思いやり、そして小学校の先生といった影響力を持つ優しい人々が、私の心の拠り所となりました。この経験を通じて、私は自立心と忍耐力を育むことができ、そして何より「最も疎外されている人々に目を向ける」という大切な価値観を学びました。
一方で、パレスチナはシオニストによる占領という、残酷で暴力的な現実に満ちていました。祖父はよく、若い頃の話をしてくれました。家族の食べ物を確保するために、危険な夜道を何時間も歩かなければならなかった日々のことを。そんな話を聞くたび、子供の頃の私が悩んでいた「これができない、あれができない」だとかいったことが、とても小さなことに思えました。こうして、祖父から受け取った「小さな知恵と愛情の実」は、私の人生の糧となっていったのです。祖父が愛した、あの小さな庭に実るレモンやオレンジのように、ひとつひとつが私の心に深く根を張り、日々の中で徐々に実を結んでいったのです。こうした2つの異なる世界での生活は、私に創造性と適応力を与え、自分自身で道を切り開く力を育んでくれました。そして、2つの世界に共通して存在していた「自然や大地との深い結びつき」もまた、常に私を形作ってきました。
20歳のとき、私は最愛の友人を失うという悲劇を経験しました。まるで姉妹のように親しかった彼女の喪失は、私の人生における大きな転機となり、今、この瞬間を愛と感謝を軸にして生きることの大切さを教えてくれました。現代では、人々はメンタルヘルスについて公の場で語ることは少ないですが、私はあえてこの経験をオープンに共有する道を選びました。それは、「成功しているように見える人でも、想像を超える困難に直面していることがある」ということを示すことができると信じているからです。また、「自分は一人ではない」と感じてもらえる機会を提供することで、逆境や喪失の中にも希望があることを伝えたいのです。あなたができる最善のことは、決してあきらめないことです。たとえその希望がどんなに小さなものに思えても、時にはそれが人生を大きく動かす力になることを、私は信じています。
私は現在、多国間主義、外交、人権擁護の分野で活動しています。この道を選んだ理由は、「他者を元気づけたい」という強い想いからです。質の高い教育と安全な暮らしが保障されるフィンランドと、占領下で多くの人々が基本的人権さえも保障されないパレスチナ。この2つの世界での経験が、私に強い使命感を与えてくれました。社会の変革においては、外から既存の構造に挑むだけではなく、内側からも変化を起こすことができると信じています。だからこそ私は、公平性、正義、エンパワーメントの問題に世界的に取り組む若者たちに今日も情熱を注いでいます。私一人の力では限りがあるかもしれませんが、他者が自分の生きた経験についてを語る場を創り出すことには、大きな意味があると確信しています。そのために、これからも尽力していきたいと思っています。
私の夢は、家族を持ち、母になることです。それと同時に、これまでの経験や専門性を活かすことで次世代が引き継ぐ世界と向き合い、未来を見据えながら道を切り開けるよう支える仕組みを作りたいと考えています。私は、子供の頃からそうしてきたように、オープンな心と夢を持って創造と革新を続けていきます。そして今、これまでの挑戦やチャンスを通じた経験を積み重ねたことで、人生における「軌道修正」とは祝福であり、「失敗」は私たちの教師であるという理解が深まりました。ですから皆さんにはぜひ、自分の直感を信じ、人生で起こる様々な出来事をありのまま受け入れ、さらにはそれらを「神様からの導き」として前向きに受け止めてほしいと願っています。