誰もが尊厳を持って生きるために

丸腰の難民。彼の頭に突きつけられた機関銃。混沌とした騒音から聞こえてくる質問。「お嬢さん、おけがはありませんか?」

ナイロビの警官が、私を取り囲み、そのソマリア人を押さえつけた。警官たちは私に危険が及んでいると思ったのです。タバンのように難民の多 くは不平等の犠牲者であり、不審者のように扱われ、尊厳のある人生を送 る権利を侵害されています。ナイロビの路上をさまようタバンの顔には深い粘り強さがありました。そこにいるだけで法を犯すことを余儀なくされ、 生き抜くことは、タバンにとって自分に配られた不公平なカードと闘いを 続けることであることが分かります。

私が止めるのに気づいた警官はやがて去っていきましたが、私の昼食の 残りに手を伸ばそうとしたタバンの弱さに気づくことはありませんでし た。今も、タバンは苦しい生活を送っています。その名前には「幸せ」と いう意味があるのに。タバンの苦境に終わりはあるのでしょうか? 彼を めぐる問題を誰が訴えるのでしょうか? このような構造的な不利益にど う向き合えばいいのか? このような思いがたびたび去来し、だんだんと 重くのしかかってきました。こうした出来事や問いが、「誰一人として取 り残されないように、個人が尊厳を持って自分の人生を切り拓けるようにする」という私の目標を強くしています。 これは、私が過酷な状況に触れ、仕事に取り組み続け、長い時間をかけて考えた結果、たどり着いた夢です。学部生のとき、私は政治学か映画研究、 いずれか一つを選ばなくてはいけませんでした。提出しないといけない書類を何週間も持って歩き回り、どちらを選ぶべきか格闘していました。 そんなとき、研究課題に取りかかるため、ムンバイにあるマンダラとい うスラム街へ向かいました。ごみと瓦礫のなかに、病気の赤ん坊をあやしている 1 人の母親が見えました。そこには、ドアも電気も薬もありません。 そのとき、こんなに親密で、傷つきやすい瞬間から見せ物をつくるのはや めようと決めました。この母親が自立して生きていけるように支援しよう と思ったのです。その場で、その玄関先で私は書類に記入しました。

それ以来、私の旅は災害や不安定な制度、構造的な貧困の狭間で、数え きれないほどの物語を切り拓いてきました。FARC のゲリラ兵が最後の 武器を降ろすのを見たり、ケララ州では洪水によって夫を亡くした未亡人とお茶を飲んだり、アル・シャバブの攻撃中に国連事務所の封鎖下にいたり、 ハイパーインフレによってベネズエラのある家族の貯金が消えていくのを 目の当たりにしたり、閉鎖寸前の緩和ケア病棟で瀕死の子どもの手を握っ たりしてきました。自分たちの境遇にとらわれた人々がそれぞれ耐え忍ぶ姿が、私の心をつかんで離しませんでした。

草の根活動家、UNESCO のユース・リーダー、ハーバード大学で公共政策を学ぶ学生として、私は不平等の問題を解決し、社会から取り残され ている人を助けるために S D G s を積極的に提唱し、地域に適用してきまし た。このような活動のなかで私が気づいたのは、私たちはみな、似たよう な問題や約束事によって形づくられているということです。「私たち」と「彼 ら」という役に立たない二項対立に陥るのではなく、地球市民として共通 の課題を解決することに身を投じているのです。

S D G s を国連の専売特許、もしくは教科書に書かれた理論的な概念であ ると考えるのではなく、サステナブルな生活を促進するために、若者がもっ とかかわっていけると、今、私は信じています。私が遭遇した非常に近視眼的な(しかし、しばしば広まっている)見解とは、特定の国際機関だけ が S D G s を達成する権限と責任を持っているという無関心な考え方です。

そこで、私はこの物語を読むすべての若者に、S D G s に関する自分とは関 係のない目標を掲げた長いリストではなく、目標が設定された情熱的な夢へと変えてほしいと思います。 タバンが自分の名前にふさわしい生活を送り、マンダラの母親がワクチンを手に入れられる世界を一緒につくりましょう。それは、希望に満ちた オルタナティブな未来、つまり人間の尊厳と忍耐力がまとめて実現されるような未来を形づくることなのです。

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