イネス夫人に水があったなら

顔を覆う麦わら帽子の影。濃いまつげに縁取られ、刺し貫くような力を持っ た視線——このイネス夫人こそ、後に私が El Agua Es Oro(水は黄金)と 呼ぶことになる夢の主人公です。

イネス夫人と出会ったのは、高校最後の年に、マイクロファイナンスのプ ロジェクトに取り組んだときでした。無口な骨太の女性で、幼子 5 人の母親で、空港の裏に位置する、日干しレンガでできた一間の家に住んでいました。ボ リビア第 3 の都市コチャバンバの外れにあるその地区を、車で通り過ぎたこ とは数え切れないほどありました。でも、太陽が照り付け、レンガを焼く窯か ま から立ち上る煙を吹き上げる風を感じた午後、ここにある現実を初めて知ったのです。

イネス夫人と会い、貧困の悪循環によって彼女の可能性が制限されていることがすぐに分かりました。しかし、解決手段を探そうとする前に、まず環 境やコミュニティ、彼女の日々の生活の複雑さを理解しなければと駆り立てられました。

私は、鶏卵の販売というマイクロビジネスを始めようとしている家族を支援するグループを高校で結成し、仲間とともに夢中になりましたが、学年末 が近づくにつれて仲間の熱意は失われていきました。しかし、イネス夫人と 直接やりとりしていた私は、彼女の仕事を支援する責任を感じていました。 さまざまな困難に見舞われ、プロジェクトの成果はなかなか出ませんでした。 卵を産んでもらうために買った鶏が、野良犬に食べられてしまうということ すらありました! イネス夫人を長期的に支えられるプロジェクトができず 悔しかったです。高校卒業後、1 年 間の留学を経て、私はその地区を再び訪 れました。イネス夫人の姿はすでにありませんでした。しかし、彼女が私の なかに灯してくれた夢の火は消えていませんでした。

その地区には水道網がありません。他の水源から水を購入するため、余計 にお金がかかり、日々の雑用に費やす時間も増えます。こうした負担が積み 重なって、影響はどんどん大きくなり、都市近郊のコミュニティに住む女性 たちは可能性を開花できないでいました。

そこで、私は貧困対策、水へのアクセス、女性のエンパワーメントなどに 取り組み、最終的には社会的不公正と闘うという夢への具体的な第一歩を踏 み出しました。El Agua Es Oro を結成したのです。その夢は机上の計画でしたが、2 年後、ボランティアは 100 人を超え、子どもたちに清潔な水と公 衆衛生のプログラムを提供し、55 世帯に影響を与えるまでになりました。 私たちは今、水へのアクセスの機会の提供に取り組んでいます。女性たちの 持つ能力を解き放つために。

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