国連総会期間中、9月22日・23日にニューヨークで「未来サミット」(Summit of the future)が開催されました。今回はそれに付随した前日2日間Action Days(アクションデイズ)に参加してきました。
…っと、すでに情報量多いですよね。
ひとまず「国連の若者向けのサミット」に参加してきました。
この言葉の多さ・複雑さ、実際に国連で何が決まって世界が動くのか、ぼく自身も解明したくて行ってきたので、のちに解説させてください。
正確には、サミットの関連イベントにて、パネリストとして参加することが、開催1週間前に決まり、急遽参加して来ました。とても急でしたが発見が多く、せっかくこんなWebスペースもできたので、得たものや経験を日本や海外の皆さんにもカジュアルに伝えたいと思います。
(胸いっぱいの帰りの飛行機の中で書いています)
参加に至るまで
せっかくなので参加する前からのこと、特に「どうやって参加したのか」から書きます。
ぜひこうのような場に顔を出したい方はご参考ください。
まず、国連関連のイベントは参加役割(登壇者など)を記した招待状がないと参加が難しいです。専用サイトでWEB登録がありそこで提出する必要があります。今回は複数のイベントのオーガナイザーであり米国国連協会(UNAUSA)会長のLady Teeさんに招待していただくことができ、今年3月に拝命したUNESCO Chair Youth Ambassador l Okayama U(岡山大学) の名前で参加しました。
その招待に至るまでも多くの協力があり、国連の国際移住機関・IOM(International Organization for Migration)勤務でOne Young World アイルランド大会参加同期である長澤薫さん(友人のため以下略称)が、Teeさんと親しくしている同じくIOM勤務のAmiraさんを紹介してくれ、彼女の必死のサポートで招待をいただき参加となりました。つまり紹介の紹介です。パレスチナとフィンランドの両親を持つAmiraさんは、パレスチナの親戚や友人が連絡がとれない精神的負担ありつつも、かつ国連総会付近は仕事で多忙を極める中、毎日やり取りのサポートをしてくれました。
今回の参加を実現してくれた、Amiraさん、Teeさん、薫、そして岡山大学の皆さんに、まずは感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
国連で働くサイクル
到着初日は渡航の発端であり、10年来の付き合いになる薫と会うことに。日経企業を経てコロンビア大学院で勉強し、NY国連勤務という経歴を持つ彼女は、国連で働きたいと言う人は多い中、本当に「国連勤務を実現した」数少ない人です。
友人でありとても尊敬です。(辞めて何もしてなくても尊敬ですよ)
ちなみに国連で働くとは、国連のいずれかの専門機関で働くということです。
NYの暮らしぶりや雑談に花をさかせつつ、国連の2年サイクル勤務の話は強烈でしたのでシェアします。国連で働きたい人はぜひ参考に。
まずそもそもキャリアは大体インターンなどから始まるのですがこの時点で2−3ヶ月の生命です。そこからうまくその所属組織で重宝されるか、また空いているポストに応募して勝ち取ることでいわゆる就職することになります。ただそこからがまた大変で若手の内は2年契約サイクルが基本のため、一度ポストをとれても2年後何か別のポストを見つけとれないと、祖国にバイバイ=日本帰国です。(終身雇用ではないです)そのため、勤務しながらも、自分の経歴や実績を記すレジュメを週末更新するのは普通で、いわば「国連という巨大組織の中で就職を繰り返す」という感覚に近いようでした。そんな中、薫はというと所属事務所に重宝されてポストが2年が3年なったりしていて、更新ができない人も数いる中、本人は言いませんがレアケース(優秀)ということになります。
国連というハイキャリアで華やかに思える仕事ですが、世界的使命感だけでなく、このような自分のライフスタイルとしての覚悟をもって望んでいることを知りました。目指している方は1情報として押さえて挑戦するといいと思います。
ちなみに薫さんの人生ストーリーはまたこのサイトにアップする予定ですので、お楽しみに!
参加の1番の意味 人とのつながり
NYは不思議と人が集まります。
以前出版したWE HAVE A DREAMの各国共著者たち4人と会えたのは感激でした。世界中の人と共著したのですが、本に出ている人と「会うのは全員初めて」だからです。
最初に会えたのはレバノンのAlissar。彼女のストーリーはこちら。他3人は国連総会に参加で来ていたのですが、彼女は本当に偶然、大学院への進学が決まりNYに1ヶ月前に移住したばかり。たまたまSNSでお互い気づき連絡を取り合って会うことができました。決して恵まれた環境で育ったわけじゃない彼女は教育で世界をより良くしようとトルコなどでも教育の活動をしてきた人で、晴れて奨学金を経てNYの大学院で勉強することになったのです。彼女はレバノンの田舎出身なので、もう町中のレジェンドとなっていました。
Summit of the future が始まり、国連の会場で会えたのは、サウジアラビアのZubair。彼のストーリーはこちら。彼はZNoteという大学の「ノート」のシェアリングサービスを通して教育格差を埋めようとする起業家です。UNDPのGeneration17というプログラムに選ばれ参加していました。初対面ながらとても忙しそうで、短い時間でしたが、「日本でもZNoteを広げたい。大学生やパートナー教育機関を募集している」と伝えてくれました。海外トップ大学を目指す人のための新サービスも始めたそうで、彼自身のサービスに興味が湧いた人は彼のストーリーページリンクからぜひ連絡してみてください。
そしてバルバドスのロネルにも会うことができました。彼女のストーリーはこちら。書籍を作るときも、現在も行っている教育プロジェクト全てに全面的に協力してくれた彼女との初対面となり、感動的でした。国連にも近いブロードウェイで会ったのですが、街の光が彼女の後光にも見えました。
彼女は国連のSDGs Young Leadersという国連により世界から選ばれたトップサステナビリティリーダーメンバーの1人です。そのため公式に呼ばれてきています。そんなかっこいい彼女ですが、気張った口調はゼロで、どれだけバルバドスがいい国か2時間教えてくました。(オフレコ多めなのと長くなるので今回は省きます)ひとまず僕がバルバドスにいくことがあったら、この会話が始まりです🇧🇧
そのままロネルが上記のトップリーダーたちがどこかで飲んでいると教えてくれて、そのまま行くことに。そこで衝撃的な出会いをするのですが、なんとパラリンピックメダリストが普通にいました。Jamalさん(上段右から3番目)は東京・パリパラリンピックにもきていて水泳でメダルを獲得しています。ロネルが本とぼくを紹介してくれてその場のみんなと仲良くなれ、特に彼とは意気投合し、翌日も夜中3時ごろまで日本式のジャズバーで飲むことになりました。
彼の記事を掲載することもその場で決まったので、ぜひ待っててくださいね。
また他にもそのトップリーダーの人たちは皆刺激的だったのですが、その中にもう1人紹介したいのがLeonardo。ストーリーがすでにある人とも出会えたのです!
彼は書籍を出すときに寄稿してくれて、残念ながら本には掲載できなかったのですが、このサイトを立ち上げる理由はLeoみたいな載せきれなかったけど広めたい夢を載せる場を作ることでした。つまりこのサイトをつくる理由となった人に会えたのです(しかも道端でたまたま)
ぜひ彼のストーリー読んでみてください。
最後に会えたのはアルゼンチンのNashaです。環境活動家である彼女は本会議の中でもスピーカーを務め、会った時も政党をつくるかどうかなど真剣な議論を南米メンバーでしていました。会えた時間が短かったですが、彼女のストーリーもぜひ。
書籍関連ではないですが、今回の参加バックアップをくださった岡山大学の、同じくUNESCO Chair Youth AmbassadorのSofiaさんとも直接対面できたのも印象的でした。最初のコラボとして彼女のストーリーも新規掲載することになりましのたでお楽しみに。(そこで彼女の活動の広さをお伝えします)
新しい出会いもありましたが、サイトに掲載の人、すなわちドリーマーと話して決めたことがあります。ドリーマーたちの物語の続編、いわば、夢のアフターストーリーをこのサイトで書くことにしました。書籍を出したのが2021年6月で3年がたちます。年代関係ないとは思いますが、若い頃?の3年は激動です。成功も失敗もいっぱいです。私自身もこの3年激動でしたし、彼・彼女らと話したところ、同じく激動であるのは間違いありませんでした。
その3年をまずは今回会った人から追ってサイトで公開していきたいと思います。
ずっとやりたかっことが今回確信に変わりました。どうかお楽しみに!
サミット・イベントレポート本編
さて、そろそろサミット自体は?イベントはどうだったか?レポーティングしたいと思います。
まずサミット全体像、一体何が決まったのか?
ここは直接的経験というより、解説・情報の整理です。
正確な情報や全体像はこちらの動画解説・国連広報センターブログがいいなと思います。
今回の成果としては、世界の指導者たちが、国内および国際レベルでの若者の参加強化を盛り込んだPact for the Future「未来のための協定」を採択したことです。
国連は「強制力」を安保理除いて持ちませんが、SDGsに見られるように「影響力」もつぶん、今後のこの協定の波及には注目です。
加えて、デジタルデバイドを解消するAI含む技術協力、平和構築に関する協定も盛り込まれています。また日本でも推進されているSDGsに関しては、30年への達成を目指すことを合意しつつも、30年以降の動きに対してハイレベルな意思決定を2027年に決定することを合意していることも今回注目でした。(他の会では、30年までをまずはそもそも議論することを重視し、当サミットが30年以降について話す唯一の場となっていたからです)
さて、ぼく自身が今回参加したパネルのテーマは、
Confronting Conflict, Crisis, and Climate for a Sustainable Tomorrow through Intergenerational Action
世代を超えた行動を通じて、持続可能な明日のために紛争、危機、気候に立ち向かう
やはり世代論が強調されています。
実際参加したメンバーはUNEP Chief Scientist (国連環境計画チーフサイエンティスト)などご活躍の方から、学生含めたユースの参加が見られました。2023年には移民が1.2億人にも到達したというオープニングから、その内約40%が子ども、約50%が女性・女児であるというデータから会話がスタートしました。対話のテーマは、ヘルスケアや雇用の問題など様々なトピックをカバーしながら進み、そこでの将来世代ユースの参加がしきりに取り沙汰されていました。(本会議の方でもそうです)
印象に残っているのは、IHRC(国際人権委員会)のマリク氏の話でした。彼はウクライナにもシリアにも何回も行ったことを踏まえ「教育がどの国でも希望だった。多国間で教育をつくっていくべきだ」と熱弁し、会場の熱が上がったのを感じました。私自身誰もやっていないことをする起業の旅路にいると孤独を感じることは免れません。しかし、彼の言葉を聞くと世界を繋ぎながらサービスをつくってきたことが全肯定された感覚がする上に、改めてこういう国際の舞台に行く理由は、同志に出会えることだ、っと感じました。
彼とは国も年齢もバックグラウンドは違いますが、感激し、会途中に目を合わせたのですが、何か通じ合った感覚がしました。
その後が私のパートで「いかにテクノロジーが災害や危機対応に役立つか」というテーマだったのですが、世界中のユースの活動を紹介しつつ、書籍・映像そしてこのサイトのこと、実際の教育や人材育成の話をしました。私はあまりトーク派というより行動派だと自分のことは思っているのですが、理屈は抜きで話が具体的だったのか、とても皆さん頷いておもしろがって聞いてくれました。世界の中でも役割があるのだなと感じた時でした。
そして会が終わった後もIHRCのマリク氏がすぐきてくれて激励をいただき熱い握手を交わすことになりました。
教育や人材育成は自分の好きなトピックなので、それ以外の興味深かった話のを紹介しておきたいと思います。(メモ程度です。気になる方以外は、飛ばしてください)
一つは、テクノロジーの利用トピックでの、アルゴリズムの話です。
私たちは日々ウェブで調べごとをして意思決定をしますが、言えば誰がつくったかもわからないアルゴリズムに従って、何が重要かもわからないまま意思決定するのは危ないという話でした。情報を受け取る側の話をしていましたが、作る側の話もそうだと思いました。このサイトもそうですがサイトである以上アルゴリズムの中に生きているわけですが、それに迎合することよりも何を伝えたいかを中心に据えること、この視点忘れないようにしなきゃと思うところでした。
もう一つは、データコレクションの話も印象深かったです。AIの話が(私が参加した会以外でも)何度も何度も出てたのですが、当会ではブラジルの千住民の方の発話で、政府が決めたデータ群ではなく、自身のような未開拓のコミュニティが自ら作ったデータがあれば政府の意思決定に良い影響することができるという発話をしていました。つまり特定の少数コミュニティも自分に関わる重要な意思決定のに使われるデータ収集のために参加するべきと言う話でした。
朝日新聞・SFC蟹江先生のセッションへ
最終日は朝日新聞と蟹江先生主催の対話式のイベントに参加しました。蟹江先生とは日経SDGsで海外のドリーマーたちと一度セッションしておりました。記事はこちら
参加していたのは文化教育に大変力を入れているハワイのカメハメハスクール(本当にこの名前です)の高校生と先生たち。
加えてドイツと日本のユースネットワークの大学生たちでした。
ハワイでのハワイ10などSDGsが生まれる前からフレームがあった話なども印象的でしたが、最も印象的だった、かつ、会場も沸いていたのは、ユース自身が総会のAction Daysに参加してどうだったかカジュアルな話の際でした。主にハワイの高校生たちに話が振られていたのですが、「正直残念だった」という話から始まり「ユースの参加っていうけれど、18歳以下だから参加できない仲間がいたし、登壇者が年齢が50−60代が多いし、ユースが30代とかだった」という話でした。
加えて、この場以外の他の参加者から、「正直「話」ばっかでアクションが見えない」という話がありましたが、彼らも同様のことを話していました。
これを聞いていた時思ったのは改めてユースは文脈で変わる言葉だなということです。彼らにとってのユースは自分と同じ年代(19歳付近?)でその登壇者がいなかったということですが、その後日本からの学生が持ってきた数字が日本の平均年齢が42歳ぐらいという話でした。日本の文脈だとその年代以下は数値的に若いかもしれません。平均年齢18歳の国もありますから、数値で縦割りすると(不思議ですが)彼ら19歳も若くないというのもあり得てしまうかもしれません。
要は年齢は数なのではあまり重要でなくて、全サミット中で言われていた「Inter-generational」「世代を超えて」動こう・動けると感じながら人生を過ごせる人を増やす、というのがYouth Participation「若者の参画」の本当のメッセージじゃないかとぼくは思いました。
今まで声のなかった人にスポットを当てることで、世代「関係なく」動ける、動いていいんだとずっと思いながら人生を歩めることで、今まで存在しなかったコラボレーションや行動を実現するようになる。(若者の起業・社会起業を応援するとかもそうですよね)
どっちみち全員年は取るのだから、世代関係ないと思いながら行動できる人が増えれば地球が向かうべき方向に向かう、ということなのだと思います。
全会期中に感じていたことを、最後に参加したセッションが不思議とまとめてくれました。会を開いて運営してくれたみなさんには感謝ですし、このメッセージを大事に今後も自身の貢献に活かしていきたいと思いました。
参加が1週間前に決まるという大変なサミットでしたが、出会いに溢れ参加して本当によかったなと思います。
これを読んでいる皆さんの少しでもインスピレーションになれていたら嬉しいです。
日頃のお仕事:https://www.worldroad.org/
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