私の家族は暴力に翻弄されていました。無慈悲で暴力的だった父が母を しょっちゅう殴り、そのせいで母は流産して、私の2人の兄は亡くなって しまいました。私が母のお腹にいるときも同じ状況でした。しかし、母は自分を顧みず父のもとを離れ、私を 1 人で育てることを決意したのでした。 母のおかげで私は生まれ、今日まで生き延びてこられたのです。キリバスのすべての子どもたちが愛情、平和そして繁栄した国で育つのを見ること が、私の今の夢です。
ものを言う機会を与えられず、両親の決定の結果をすべて受け入れ、向 き合わなければならない子どもたちにとって、人生は不公平に思えます。 他の子どもたちが両親に叱られながらも、導かれ、世話をされ、幸せに育つのを見ていたら、悲しみは深まるばかりです。 私が大学生だった頃、2008 年から 2009 年の全国調査の結果が発表されました。それによると 81%の大人が、子どもたちに虐待や体罰を与え ているとのことでした。学校もまた例外ではありません。2 010 年、キリ バスにおける女性や少女への暴力は、太平洋地域および世界で最も多い割 合で横行していました。そこで私は、祖国の人たちを助けようと行動を起 こすことにしたのです。
2013 年、私はキリバスの教育省に命じられて、国中の島を訪ね、女性 や子どもに対する暴力をなくし、彼らが教育を受けられるように働きかけ ました。私は若者に響くメッセージを発信していきました。翌年、25 歳 でキリバスの教育省からコミュニティ・コンサルテーション・チームのチー ムリーダーに最年少で任命されました。このことは年功序列に価値を置く伝統に反するものでしたし、リーダーとして年長者とともに働くことはか なりの試練となりました。
これらの活動を通して、私は多くの人に出会いましたが、彼らは「前向 きな子育て」という概念に初めて接したのです。彼らは暴力を伴うしつけが子どもの発達には良いと信じていました。しかし、彼らの多くが徐々に、 児童虐待が現代の社会問題の根源にあるのだと理解するようになりまし た。最終的に、より良いペアレンティングの方法を進んで採用し、目を開 かせてくれたと私たちに感謝する人もいました。学校の教師たちの間でも 同様の変化がありました。
私の最大の夢は、子どもたちが平和な国で成長し、人生において自分 の潜在能力を最大限発揮することです。この夢は必ず実現するでしょう。 そのために、私は地域社会に奉仕しているのです。